非常食製作事業を発達障害を持つ子供が行う理由について

この発達障害と呼ばれる特性の枠組みは大きく分ける事も可能ですが、そこから個人それぞれの特性によって細分化されます。現状の社会でこの一人一人が持つ特性を拾い上げて、更に彼らが共通して持つ特性も理解して対応しながら日常を過ごすということは、その御本人と御家族にとって心身ともに並大抵の苦労ではありません。その状況下で彼らには「自立」という大きなテーマがあり、そのために日々トレーニングを欠かさず過ごしています。しかしその活動は決して簡単なものではなく、結果になかなか結びつかないことも多いかと存じます。

それらは全て、現在の今ある社会にこの人々が適応するためのものです。それは確かにある部分においてのみ必要な事だとは思います。でも私はどこか腑に落ちないものがあります。


描く理想は、

発達障害を持っていようがなかろうが、

身体に障害があろうがなかろうが、

学校の成績が良かろうが悪かろうが、

男性でも女性でも、

若者も高齢者も、

動物が好きな人も苦手な人も、

全ての人々が分け隔てなく、できる限り平等にいることが人間の共通意識となっている状況。

違う様で実はみんな同じ。

平等の意識。 意識を平等に。

そういう社会。 そんな日常。

得意なものがある人はそれを精一杯生かして誰かのために必要な事をしてあげるのが「普通」

苦手なものがある人には周囲の人々がアイデアを出して手助けをしてあげるのが「当たり前」

食材も水も、安全で美味しいのが「当たり前」。 しかも手軽にすぐそばで手に入る。

そういうものたちで日々の食事を美味しく食べれたら笑顔にならないわけにはいきません。

そういう世の中で生活できたら、そんな時間を過ごせる街なら、それはとても素敵なことだと思うのです。


発達障害を持つ子供たちは、大勢の中でみんなと同じことを同時に行うことは苦手です。周囲の人達に気を配って空気を読んだ行動も苦手です。集団という単位では彼らの特性は否定されていきます。そういう中では彼らの持っている一人一人の特性が良いとされる方向に発揮されることは難しいのです。

彼らには一人一人に対する視点・洞察が必要で、共に何かを行うには得意な部分を生かすということが絶対条件になります。彼らの凸凹の有力な方にフォーカスして導いていく必要があります。不得意な方を補うことに力を多く配分していては上手くいきません。そういう見方、接し方が彼らには必要です。

そういった部分を関わる全ての人が理解納得した上で、共に社会生活を送ることはとても大事なことだと思います。今言っていた内容は別に彼らだけに必要な視点ではないからです。人間は人それぞれ全員が特性を持った生き物です。この世に同じ人間はいないのですから。百人いたら全てが百通りであることが大切だと思います。

彼らにとっても自立というテーマだけではなく、社会の一員として生きるという、人として当たり前の大切な役目があります。社会の一員になるには、発達障害を持っている人達と近しい関係者だけが集まって現状のこの社会に対応する事ばかりに注目していてはいけないと考えます。彼らには特定の人々を引きつけて共に学んでいくという磁石のような役割があります。その事を気がついてあげるのも周囲の関わっていく人々の役目であると思っています。

この先の社会を作っていく子供であり、しかも発達障害を持つ人が行う事業は、今後の社会を築いていくのに重要な要素を踏まえていると考えます。際立った特徴を持つ彼らは私たちの教科書そのものです。彼らへのアプローチは世界中の人々へのそれと同じものです。それを実践することが重要なんだと理解しています。

一人一人が無理なくできる事からできる範囲で関われたら良いと思います。

災害対策はみんなでやるもの。子育てもみんなでやるもの。老人介護もみんなでやるもの。美味しい野菜を作るのもみんなでやるもの。自分の得意な部分、自分だけが持っている「それ」を最大限に活かして。様々な分野で生きる人々と繋がって繋がって、つながっている。実は大きな自然災害は期間限定ではありますが、自然とこういう状況を作り出しているというのも事実ですね。私は災害時ではない通常の日常生活がそうであったら良いと考えています。そして災害時にもそういう日常生活を送れるようなら、困っている多くの方々の助けになれる心強い仲間が現れると考えています。

このFORO「鉄」がそのきっかけになっていければ、それは素晴らしい事だと思っております。今はまだ何もないですが、しばらくして気がついたらここは自然と勝手に運営されてるんじゃないかと想像しております。


そんな妄想から始まった「大規模災害対策」の一部分でございます。


FORO「鉄」管理人  福澤成泰